2011年9月5日月曜日

9月4日の思い出

去年から,僕にとって9月4日は特別な日になっている。
自分の若い日々を思い出しながら,昔を確認しながら
今の自分の存在を認識している。

時間を止めてしまった彼には,
最初は,「嘘だろ,何で?」
という気持ちから,
「ずるいなぁ,カッコいいなぁ,みんなの中に若いままいるんだよなぁ」
と,ある種の諦めのような,羨ましさの残る胸の内で見ることもあった。
その,ずるいなぁの気持ちに変わるには,もちろん
「やっぱいなくなっちゃだめだよ,カッコ悪くても,そこで
じたばたしなきゃいけないよ」と考える事を乗り越えてからだったのだが。

複雑な気持ちを持ちながら,あっという間に1年が経った。
カーナビに設定した瀬の本の登録ポイントを1年ぶりに呼び出した。
1年ぶりに行ったその場所は,何も1年前とは変わっていない。
車は行き来するし,ツーリングのライダーも多い。
1年前に行ったときと同じように,ススキは揺れているし,
時折強くなる風と雨が,全く同じ風景を見させてくれた。

先にどなたかが来られた,新しい花束が二つと,好きだった缶コーヒーが
供えてあった。本当にいなくなったんだと感じさせる。
自分と子どもと買ってきた花束を2つ置いて,手を合わせる。
今回一緒に来れなかったでも想いは同じ友人たちの分まで,
手を合わせ,祈った。
「どうだい?痛くなかったかい?のんびりしてるかい?
でも,ここにはいないんでしょ?家族のそばにいるんでしょ?
もしかして,どっかで見てる?」
と問いかけてみたが,何も返事はなかった。

朝8時に自宅を出発し,夕方7時に帰り着いた。
自宅の前でメーターがちょうど494.9Kmだったのは,
シクシク悲しい偶然だったのだろうか。
500Kmの走行距離は,思い出を振返るには充分な時間があった。
普段慌しい時間を過ごしていると,いかに思い出す余裕を
失っているかに気付く。そしてとりとめもなく思い出す中に,
やっぱ,こうやって,じたばたしながら生きてるんだよな,と
Cogito, ergo sumのごとく思うのだった。

この兄ちゃん,この野郎,手間かけさせやがって,とも思うけど,
何時までたっても先輩は越えられないや,ずるいなぁと思う。
「じたばた生きるのって,カッコ悪いけど,カッコいいんだぜ。」
と,偉そうに伝えられるのは,これだけしかなかった。
あなたの事は,やっぱり忘れられそうにない。


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