2012年9月11日火曜日

三回忌

あれからもう2年が経つ。
今年もお花を供えてきた。
今年は長女のほうを連れて行った。


「彼によく似合う薔薇の花をお願い」と友人に頼まれて供えた。
14時過ぎに現場に着くと,初めてという感じがしたが,
高く澄んだとても良い青空の天気だった。これまでは雨や風ばかりだった。
手を合わせると,これも初めての感覚だったが,虫の鳴き声がよく聴こえた。

前日に体育祭を終え,若者たちの青春の熱いパワーを感じていたし,
虫の鳴き声のような生命感を感じると,彼は亡くなったのは悲しいことに
間違いはないし,残念な気持ちももちろんあるのだが,新しい息吹のような
気配を感じていた。

もう三回忌になる。その間,僕らはいったい何が変わったのだろう。
日々の雑務とは言えないが,何らかのモノに追われ,忙殺される毎日で
何かを成し遂げているのだろうか,と自問自答した。

先に数名の方が訪れてお祈りされたのだろう,少し枯れた花と,
まだ新しいものと二つ先に置いてあるのが見えた。
今回でこの現場を訪れるのはしばらくやめようと考えた。
新しい息吹の気配が何なのかはよく分からないが,少しだけ前へ
進むために,しばらくこの場所から離れたほうがいい気がした。

少し上がったところに車を止めて,瀬の本を見下ろしていると
トンボがガードレールに止まっていることに気付いた。
何の気なしに手で払ってみたが,そのトンボは,また同じ
場所に帰ってきてとまる。何度やっても同じ場所だった。
この事故現場にこだわる必要はないんだよ,との暗示だろうか。

先輩,安らかにお休みください。
まだまだ心配でしょうが,なんとかやっていきますよ。



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追記
先週,学級だよりで,生徒たちに僕の気持ちを以下のように伝えた。


9月4日は僕の先輩の先生の命日
9月4日にこの文章を書いています。皆さんには何にも関係のないことかもしれませんが,僕の心の中では大きなことですので書きます。時間があれば読んでください。
僕が教員になって4年目に歳は5つほど上のI先生と一緒に勤務しました。同じ数学の先生であり先輩であり,授業のやり方やクラスの生徒の悩みなどを相談に乗っていただいたり,一緒に飲みに行ったり仲良くさせていただいた兄貴のような存在の先生でした。
同じ数学の教員ということで,その後は同じ職場になることはなかったんだけれど,会議などで会うこともあり,生徒に対し,熱く,情熱的に語っているところは,年齢を経ても変わっていない,尊敬できる,頼りになる僕の師匠とも言える先生でした。
僕が鹿児島中央高校に転勤してきてからも会うことは多く,一緒に学力向上推進委員として問題冊子などを作成していました。
別れは突然きました。一昨年の9月4日に交通事故で亡くなりました。自身の運転するバイクで対向車線の車に追突し,数時間後に亡くなりました。熊本県と大分県の県境の付近でした。昔の同僚だった先生から,夕方突然電話が来て,「あぁ先生久しぶり。どうしました?」「どうしましたってことは,まだ知らないようだね。I先生が亡くなった。」「え?うそ?」信じられなかった僕は,急いで事故現場に車を走らせ,花を供えながら泣きました。本当に信じられませんでした。でもそこには,スリップ痕と拭き取られた血の痕がありました。
僕の心の中での先生,兄貴として慕っていたその先生は,いつも生徒に対して真剣に熱い口調で真正面から話をし,親身になって話を聴き,もちろん生徒からも信頼され,生徒からも兄貴として慕われていました。葬儀では,現在勤めていた学校の担任だったクラスの生徒たちの悲しみは大きなものでした。それまで勤務された学校の教え子さんと思われる方もたくさん訪れ,I先生の人物の大きさ,人としての心の広さを感じました。
僕自身も大きな心の支えを失った感がありました。葬儀の前後はずっと泣きながら過ごすことが多いでした。人が一人この世からいなくなるということは,リセットすることは出来ないし,決してもう一度やりなおすことが出来ません。あのときもう少し話しておけばよかった,とか,また今度飲みましょうね,と言ったことを思い出すと,無理とはわかっていてもあの日にもう一度戻れるならどれだけの話ができるか,と想像します。その日その時その瞬間を大切にしなければならないと考えます。
僕は今でも何かをするたびに,時に授業の展開を考えるときであったり,生徒の悩み相談を受けるときだったり,そんなときに,「もしI先生だったら何ていうかな?」と考えます。誤った道を進んでしまわないように,たまに降り返って,どんな道を通ってきたのかを自分でチェックしたり,調子に乗ってずんずんと行きそうなときにこそ,この先に落とし穴はないかな?道を間違わずに進めるかな?この道で合ってるのかな?ということを考えなければならないと感じるのです。そんな時慕っていた先輩,兄貴ならきっとこういった方法を取ったに違いないと考えて,ものごとを進めることが多いのです。
今日で三回忌になります。昨年は9月4日に熊本へ行き花を供えてきました。今年は,今日が動きが取れなかったので,体育祭のあとの休日に,「先輩,少し遅れたけどごめん,来たよ。」と現場に行こうと考えています。そして,「兄貴,今こんなことしてるよ。今年は生徒のこんな悩みを聞いたよ,僕の悩みはこんなところだよ。どうかな?」と聞いてみようと思います。そこは,風が吹き,ススキのそよぐ音しかしないはずです。でも,僕の心の中に,「ちゃんとやってるかい?頑張ってるかい?すっげーなー。」と,話しかけてくれないかなと思います。たいしてスゴクもない僕を,いつものように,まずは褒めてくれないかな,と思います。9月4日はいろいろなことを感じる,心が少し寂しくなる日なのです。



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